uchunohazama’s blog

孤独がデフォルト。

ろくでなし。私の若い頃。バブルの中で。

私のスーパー モラトリアム ブランクと云える、私の20代。
呆然としてたのは確かだし、考えをまとめるのにとても時間もかかったし、そしてその中でお金は稼がなくてはならなかったので、手っ取り早い方法で、お水の花道の路肩を、俯き加減で石を蹴りながら歩いていた。

それでも世の中は好景気なので、私は息子にお金を使えたし、毎日、タクシー使って、ダラダラと生きていられた。

そして夜には毎日の様に焼肉とお寿司が待っていて、料亭でしゃぶしゃぶ、ふぐ刺しが待っていた。

何というか、たまに庶民の味でラーメンなので、太る筈だが若いので太らない。
そして毎晩、ブランデーを飲み干していた。

こんな日々の中で、たまには焼き魚でも食べたいと思っていたら、1800円で食べられる店が出来、秋刀魚やら、鯖やらの定食を2000円で、、チャージもつくので、、食べていた。

お金の感覚なんてまるでなくて、
私はクズみたいだった。と思う。


よくエントロピーは高くなってくけど、低くは戻らない、というけど、少なくとも私の精神的なエントロピーは当時は高過ぎて、もうガスの様になっていて、やっと今、少しは形になったのではないかな?と思っている。

でもまだまだで、しっかり固まった頃に、私の肉体は朽ちる様な気もする。


精神状態や経済のエネルギーや、まとまりのなさ、乱雑さをエントロピーの高さで表すのは間違っているし、用法としてそぐわないというが、でもこのエントロピーの法則の使い回しは面白い。

エスキリストの原罪を、人間はそんなに罪を背負って生まれて来なくてはならないというマイナスの感情を煽る宗教だ、というのと同じくらい、エントロピーを物理から離したものに当て嵌めるのは間違いである。


でも、単純にエントロピーが高いことを乱雑、エネルギーに溢れると統制が取れなくなる、ということに当て嵌めて、私の部屋はエントロピーが高い、とか、使う人がいる。

ま、それも、汎用性で、いいのかな?

でもこういうことを許すと、全てに間違いが起こっていくのだよね。


でもエントロピー(笑)

 

当てはまるね。

 


でも物理では、とても細かい世界なので、私たちが目に見えていることより小さい。
私のエントロピーは、やはり当時は低く、固まっていた。その1番の答えは私のエントロピーは、今、大きく離れていくので、弛んだり、シワになったり、緩んだりする。

そうつまり、エントロピーは、分子、原子、さらに、電磁波、波形や、ひもの世界なので、やはり私のエントロピーは今、高くなっているのだ。

 


ここに私たちの視野という、この世界や、精神世界を物理的に解明することが出来る理論が出来たら、パラドックスと言っていたものが、何だったのか、見えてくるのだろうか。


エスキリストの原罪は、イヴがリンゴを食べた時から始まる。
それは、知恵なのか、知識なのか。

そして何故か多くの科学者は敬虔な宗教家でもあり、神を信じている。
これもなかなか面白い。


そして私はいま、めちゃくちゃ粗食なんですけど、それが落ち着く。これが欲しかった。
子供の頃からずっと。。。

傷だらけの天使

細かいところは忘れている。
でも強烈に心を奪われた経験がある事は確かだ。

ショーケンはカッコいい。
父がテレビ局で他校から歩いてくるショーケンのかっこよさに見とれた、というからかなりカッコいい。
私がとある今はなきとある高級スーパーで、マヨ( 川崎麻世 )を見た時もかなりかっこよかった。
でもオーラはショーケン勝ちかもね。うん、オーラ。

この時に1番シンパシィを感じたのは水谷豊だったかも知れない。
あきらは純でバカで、愚かで、そして輝く。

修はカッコよくて悪くて、毒ばかり吐くけどカッコよく、でもあんな人はどこにも少しだけのやや選抜組の、そしてあの完成度はかなりトップクラスの、そういう人で、私ではなかった。

私は選抜組ではないし、変わっているけど、スペシャルではない。どちらかと言うと外れてる。
だから、あきらなのだ。

でも自分は外れもの、アウトロー、ドロップアウターだと、受け入れることができるのは、人生も終わりかけた今なのだ。そうだろう、どこか自分をどうにかよく見せたい、という愚かなそして、それを引っ張る夢、あきらの場合は健太と修と自分の暮らし、理想の家庭。。。


そんなものはありはしない、このドラマは悲しくも現実を突きつける。
受け入れはしなかったけど、でもどこかでわかっている。だから違和感より共感とそして深い悲しみが、あきらを支持してしまう。


人間がいかに自分勝手で、自分の生き方を中心にしてしまうか、それは私も含めて、人を含んでいる、客観的に、学者の意見やエビデンス、全てをどうやっても、視点が個人、もしくは一点からの観測の結果である以上、そこにはパラドックスがあって、そこに個の存在がある。

そこを影響し合う事で塊になっていくのだ。
勝手なことを言っている人が多いという事はそれだけエネルギッシュであり活動している証拠だ。


と、エントロピーの法則をここに使うのは間違ってるけどね。

 

私達は固まらない。
社会という曖昧なものを一つの形として明確に表すことができるなら、その法則は当てはまるかもしれないが、私達は、自分たちというこの形しか知らない。


愚かな塊は愚かでそしてあきらだ。


と、私は思ってしまうのだった。

 

 

コメント

大人のいない世界

実際の話、政府のやる事がいつもおかしい茶番であることはみんな気づいている。

そして、じゃあ自分たちはどうしたのか?
という事を振り返ってみたい。

私は自慢じゃ無いけど消毒魔で、やれと言われたらやりたいだけやりたい。
普段は人の目や、様々考えて合わせて居るけど、今年に入ってからは本領発揮して居る。
普段からアルコールティッシュ持ち歩きしていたけど、春に店頭から消えてしまった時には、次亜塩素酸水のスプレーをいつもの倍持ち歩いていた。ってことは普段から?そう、もう何年も持ち歩いて居る。

この感覚の私から言わせて頂くと、GO TOが始まった頃から、世間の気の緩み方はグダグダ。

毛糸の編んだ最後の留めが解けた様に、端っこからゆるゆる、グダグダと、解けていった。

その頃、私と趣を同じとする人達は、今、気が緩むと冬が怖いよと言っていたけど、緩むスピードって凄かった。
人は易きに流れるものだと思い知った。

先ず、建物の出入り口にあるアルコール消毒をする人がどんどん減った。
今でこそ、みんなして居るけど、本当に夏や秋は少なくなっていた。
私はいつも自分用に持ち歩いてマメにアルコールジェルを塗り込んでいるけど、みんなそんな様子もない。

コーヒーでも飲もうとすればみんなマスクを外してここならしなくていい、治外法権だと言わんばかりに大声でお茶飲んで騒ぐ、マスク着用のうるさくない個人店で、マスク無しで飲み食べ立ち歩きする、おゝい‼️そんなことしてたらあかんて‼️
と心で何回叫んだかわからない。

そこに第二波が来てもやがて収まってしまうので、大人が歯止めの利かない状態になってしまった。
まだ夏あたりは、高校生が親に消毒を促したりしていたけど、2波が収まる頃には誰もがもう平気だよ、になった。

いや、まだ高止まりやん、冬が来るんだよって言っても誰も聞かない。
今になってGO TO非難したり、政府が後手後手というけれど、経済を早く立て直したいからこそ、ちゃんと消毒して、外から帰ったら必ずシャワー浴びて、寝室にウイルスを持ち込まない、身体を休みの日にはゆっくり休める、洗濯をこまめにして洗えないものは次亜塩素酸水で消毒したり、玄関から奥に入れない様にして、また、スチームアイロンで殺菌するなど、工夫はいくらでもあり、私はどれも行って居る。

みんなしてる?

仕事に行って拡散防止といかない分、なるべくウイルス達を( コロナに限らず、世の中には無数のウイルスが飛び交ってる )自分が育てない、増やさない、人にうつさない、そういう気持ちが強くなるわけで、それが自分が罹らないに繋が流という理屈がどうしてわからないんだろう。

みんな自分が主語なんだよね。

経済経済って言ってて、自分の経済、でしょう?日本の、みんなの経済って思ってたら、もっと生活を見直すでしょう?
当然ながらやることは小さな日常の積み重ねだけど、いつのまにかみんな、普通に元通りになってないかな?

そこをよく考えないと、マスクしてみんなの見てる前だけアルコール消毒して、でもトイレに行ったら手は濡らすだけ、食事の前にアルコールつけて擦るだけ、食後の歯磨きやうがい、そんな事も何にもしないでしょう?

私はGO TO トラベルだって別に悪いとは思わないけど、でも自分さえ罹らなければってスタンスじゃん。
それならやめるべき。こんな企画。

ほんの少しいつもより丁寧に綺麗にしましょうねって話なのに、それだけでノイローゼになる人とかいて、マジかよって思った。

きったねーなおまいらっておもったし。

ま、見た目が綺麗じゃないから信じらんないかも知んないけどね、私は。
で、説得力もないかもだけど、、、

でもね、本当にきちんとするってどういうことか、よく考えてみて。

からの〜

GO TO。。。

経済のために、このウイルスを蔓延させてはいけないし、日本では大丈夫でも、人種によって重症化したりするなら、日本になるべく少ない状態を作らないと本来の国交も戻らないし、そうならなくては経済なんて戻らない。

ちっさな目先だけ考えて、こんなウイルスとか、風邪じゃないかとか、視野の狭い意見に大人が踊らされたり、振り回されて居るのもおかしい。

確かにウイルスとしては普通のエンベロープウイルスだけど、ちょっとクセが強いし、どうしてこんなに国によって違いがあるのかとか、そういう事はまだ何も分かってないし、私達だけがそんなにひどくなければいいというウイルスでは決してなく、もっと地球規模でからの日本として、ちゃんと自分の日々の生活の積み重ねを見直すべきなんだと強く思っている。

医療現場ももとよりである。

本当にもう少しだけ、自分と自分の周りだけではない、大きさで物を見て欲しい。

 

自分のやりたいこと

毎日の生活

 

子供じゃないんだから大人としてちゃんとやろうよって思う。

 

数ヶ月前にとある高校生がお菓子のプラスティックが多くて使いすぎという事をつぶやいて、少し話題になったが、企業から半分以下に抑えて減らして居ることや、それがないと品質が保たれないことなどの説明があった。

高校生が気づいた事を口にすることはこういう事がわかるからいいなと思ったけど、もう少し調べてから発言してもいいかなとも思った。

 

でも見えた事を見えたからいうということはとても大切な事だ。

 

 

今度は高校生がインフルエンザでここまで騒ぐか?と言い出した。

これはちょっと違うだろう。

周りの大人が話して居る内容次第だなぁと思ったのはこんなことから。

 

アメリカであれだけ死ぬ。

ハグするからキスするからって勝手に決めつける。日本でもこんなに流行ってるじゃないか。

日本人の死亡率が低い?

これだけ対策してて破壊も何もあったもんじゃない。インフルエンザで対策しているか?

ワクチンのあるなし、特効薬のあるなし、そして国交を復興させた時に人種間での罹患率や治癒率などのデーター全てなんもちゃんとしたエビデンスがないのに、いや、トップの人たちは外郭くらいの結果は持っているかも知れないが、それを同列に語る事が先ず間違っている。

 

無くすことは出来ないが、制圧してコントロールできるところまでは持っていかないとならない。だからみんな大変な思いをしているのだ。

 

それを特効薬のあるインフルエンザと同列に語る暴挙に大人が踊らされたり、同調してはならない。

 

子供は見たままを言っていいのだ。

大人はその原理を知って語らなくてはならないし、わからないことはわからないと慎重になり、恐れるところは恐れ、コントロールすべきところはするのが大人だ。

 

 

日本には本当に大人がいない。

正解はないかもしれないおとぎ話

日本の国に、大きくて、全国にまたがる大きな野原が発見されました。

そこには通常より毒性の強いスズランやトリカブト彼岸花大麻なども群生し、そして通常より美味しい生き生きとしたアスパラガスや、美しい花や、珍しい木の実も沢山ありました。

 

また、少しだけ土を取ってみると、どうやらレアメタルや金まで埋まっていそうです。

 

日本の経済が潤う、と、日本中が騒ぎました。

 

ただ、レアメタルを掘り出すと、上の植物たちが大きなダメージを受けてしまい、そこの作物が取れないということがわかりました。

また、大体そこには私達の身体にとても良い漢方の素や、長生きできる妙薬の元も生えることがわかりました。

 

今すぐ掘らなくてもいいよ、もう少し時間をかけてちゃんと調査してから掘る場所と、植物を守る場所を決めようじゃないか。

 

ところが世界からもその場所を注目されてしまい、その野原に関わる県知事は、県民から煽られます。

このままじゃ取られちゃう。

うちはあれが欲しい。

うちはもうこれがないとダメだ、これが生き延びる縁なのだ。

と、詰め寄ります。

 

国はそれぞれの土地は県のものだから、県で詳細を考えてくれ、対外交だけは国がやるから細かい意見書を出せというばかりです。

勿論、そこには忖度をてんこもりにして、国がどうしたいかお前らわかってるよな、と言わんばかりの注釈を、更にやんわりと表現した文書も雑誌のような厚さで周りました。

 

みんなで考えたのは、毒の植物のところだけ掘って、少なくはなるけど高価なレアメタルを掘ればいいんじゃないか、という結論になりました。

 

みんなもう、必死でメタル掘りです。

ところが少し掘った時に、毒の植物に当たって、倒れる人が出てくるのです。

これは問題だ。

更にその人たちは無症状で毒を持ち帰ることもわかってきました。

 

 

身体に良い植物を守れ、だからもうお金のことより、取り敢えず自然保護と自分達の体を守ろう、命を守ろう、という人と、どうせそのうち掘られるんなら少しは回して国をもっと豊かにするのがどこが悪いんだ、という人に別れ、さらに、植物だけは取りたい、いや、それも守れ、いや、毒の植物もうまく使えばいいものだ、などいろんな意見がわいて、ついに収集などつかなくなってきてしまいます。

 

県知事が集まって、植物だけは取っていいことにしよう。メタルを掘って中毒になった人が1番多い所の人だけは植物にも毒が広がるからきちゃダメだ。

 

でも毒はかなり蔓延してて、症状のない人も沢山いて、そのうちにほとんどの人が、ある程度は毒に侵されるかも知れないが、無症状の人だけ生き延びればいいんじゃないか?

という意見がまことしやかにささやかれる訳です。

 

毒に侵されたり、侵されたら大変なことになる体力の人は恐れ戦きます。

私達は守られないんだ。

そうです。

弱い人は死ねばいいんです。

 

そう言われているような気がして、それを呟くと、なるようにしかならないから、気にするな、と、毒のほとんど無い地域の人から言われたり、体力があって、毒に負けない人達は、だって自分がやりたいもん、という趣旨のために、言い訳をてんこ盛りにしてることにもうっすら気付きながら、国が県がやっていいからって言うからと括ります。

 

別にあなたに死ねと言っているわけでは無いのよ。

 

でもやりたいの。欲しいの。経済も大切なの。

 

 

 

 

 

ま、戦々恐々という私の気持ちは、おおかたもみ消される。

社会はみんなそんな気持ちなんだ。

インフルエンザは気軽に検査出来るし、色んな方法をとってくれる。

そして私はインフルエンザより、得体の知れない高熱ウイルスとずいぶん戦ってきた。

だからマイナー抗体があるかも知れない。

つまり無症状で、風邪のような基礎疾患のような症状だけで済むかも知れない。

 

だって検査できないんだから、わかりようが無い。

 

 

 

これが今のGO  TOの状況でしょう。

何故ワクチンができてから、と、ならないんだろう。潰れるよ、五輪準備にお金使って流れた、というところも多いでしょう。

 

 

私は自分が社会のためにどう動いたら1番か、ということを念頭に生きてみたらどうかなと思います。

経済を回さなくてはならないのは当然ですが、仕事はこの中で淘汰されて行くと思います。

更に、消毒や清掃に関する仕事が増えていますが、そういうことをする必要のある施設が、きっと少なくなって行くと思われます。

広大な土地がまた生まれ、人も少しずつ減り、世の中は変わって行くのでしょう。

100年後、私は生きていません。

 

世界はどうなっているのでしょうね。

 

 

人間はとても誠実な生き物なので、どんなに自我が強く、やりたい事が強い人でも、人に対して不誠実だと分かるのです。

 

その居心地の悪さや、不安感をもっと大切に、どうしてそうなったかは自分しかわからないです。

 

わがままな生き物ですよ。私達は。

 

何を守りたいのでしょうね。

 

自分なんでしょうね。私も自分をコロナから守りたいです。。。。悲しいね。

 

 

 

 

日本の新型コロナと政府と行政と医療。

まず、PCR検査は、緊急事態宣言が出た今でも、誰でも受けられないし、強く要望しても受けられません。

自覚症状があっても国の定めた条件に合わないという理由で受けられない人は沢山います。

 

その上での公表数であり、いま、隠蔽、秘密裏に治療する為に、ネットで管理しています。

つまり症状のある人をネット管理しているのですが、それでも実際の数の3分の1以下だと思われます。

 

 

政府は、8割の人との接触を減らしてくれと言います。

 

どういう事かと言えば、1週間で20人の人と出会う人、勿論同じ人でもだよ、出会いが20回あったら、4人にしてって話でしょ?

 

 

で、実際は98%減らして欲しいという。てことは、20人と出会う人は、1人にしてねって話だ。つまり、スーパーに一ヶ所行ってレジでお金払ったらおしまい。

 

それ1週間に一度ねって話になる。

 

 

あとは2メートル離れてって話だよ。

 

 

 

 

アメリカとか日本より国土が広くて人口密度も低い国でどうしてあんなに広がったのに日本で広がらないのか本当に不思議。

 

 

靴で室内に入らない、公共のトイレが綺麗、動物との同居の仕方など、まあ、よく考えると日本は衛生的かもしれないけれど、それでもやはり、そんなにウイルスが大人しいとも思えない。

 

 

つまりはやはりかなりの情報操作が行われていて、緊急事態宣言があった途端に東京の感染数が増えたのは、水面下に留めていた数値を政策的に表面に出したからだけだと思われ、つまりは地方で20にんとか、30にんとかでクラスターとかお茶を濁すようにしているところでも、実際はすごい数が罹患しているのかもしれず、そして都市部がこうして自主的と惑いながらの自粛して、少しウイルスが収まったあたりで、地方からまた都市部に逆輸入され、常に緊張することになるんだろうと危惧してしまう。

 

 

こんなに小さな島国で、何やってんだろうなぁと思う。

 

 

そんなに極端に怖がってはいないけど、でも、やっぱり洗浄、消毒に努め、接触を避けるに越したことはない。

 

外が恋しいのは誰でもそうだけど、子供みたいに外に出ることに意固地になる必要もないと思う。

 

そういう人は感染して痛い目に会えばいいのかなとかも思ってしまうよね。

 

 

ここに来て急に家族で外歩きしてる人とかもいるからね、笑うよね。

 

自分が動くことで感染が広がる

これはうつっているからとかでないようで、本当にコロナの感染の仕方自体、よくわかっていないのが現実で、とにかく外に出ないでっていうのが本音のメインテーマなんだって、そこはよく理解して欲しい。

 

もう一度。

 

感染の仕方はよくわかっていない。

とにかく、人が外に出ないことが1番だ。

取り敢えず経済は止めない。

でも出ないで欲しい。

 

自由も奪わない。

でも出ないで欲しい。

 

 

この切実な意味をちゃんと理解して、冷静に、揚げ足とることなく、よく考えた行動ができる人が、私はいま、日本が求めている大人だと思う。

 

 

 

私はいつ死んでもいい人として言いたい。死にたくないけど

コロナ流行ってます。

 

すごく身近で、というか、自分自身が、PCR検査を受けられない凄い矛盾に出会ってます。

 

私は比較的早い時期にそれを知り、その後の社会の動きや法律、そして様々な補償や人々の生活を3ヶ月近く見守ることができました。

 

 

中国人接客してても、30分以上でなかっただけで条件から外れた私は、自分が感染源にならないように本当に気をつけました。

 

 

いま、やっと緊急事態宣言が発令されましたが、世界からは、かなり辛口で、意見されています。

 

で、日本の田舎では、まだ、人に出会わなければ、自分も感染しているかも知れないなといいつつ、山歩きしたり、買い物したりしてる阿呆が沢山います。

 

そして自分は大局を把握しているなんて言います。

 

 

死ねばと本当に思います。

 

 

 

 

わたしはいま、かなり酔ってます。

 

 

 

 

STAY HOME

コロナコロナコロナ。

この言葉を聞かない時はもうない。

聞きたくなければ全ての情報を絶って、好きな音楽でもかけているか、映画でも観るしかない。

映画館はガラガラで、外を歩けばやはりコロナの文字。。。

 

 

私は行かないけれど、でもそうらしい(笑)

 

 

ひょんなことから、本当に貧乏に節約すれば、どうにか働かなくても食べるだけはできそうな算段が立った途端にこの騒動で、勿論仕事はなく、会社の社長にお金を貸す始末だ。

 

20年近く、世話になったと思うから貸したけど、返ってくるのだろうか。100万と言われたが、粘って70万貸した。

こっちだってこの70万が無いために、すごく色々と自転車操業になっていて、引っ越したので、引っ越し代やら、家具やら、ハウスクリーニング代やら、本当に二桁当たり前、合わせれば軽く三桁を超えて来るので、本当に大変だ。

 

毎日、手作り餃子や、おやき、なんかで凌いで、とにかくお金を使わない様にしている。

 

引っ越ししたばかりは、中古住宅なので、ある程度ハウスクリーニングしていてもかなり細かい汚れに満ちていて、その杜撰な掃除にお金を払ったのか、と呆れながらも、業務用の洗剤を買って、丁寧に掃除して歩き、さらに組み立て家具などを組み立て、、、、

 

 

そしてクロスに傷をつけて、、涙目、、、

 

 

 

そんな毎日をコロナを傍目にひと月も過ごすと、やることも落ち着き、はてさて、これからという時に世の中はコロナで硬直してしまった。

 

 

 

元々、私はポイント、ポイントで、消毒好きで、世の中には見た目が綺麗ならいいの、と、台拭きで床を拭いてしまう人もいるけど、逆にそういうところがかなり神経質で、コロナ対策も、死者が出た時点で私のウイルス対策は完全発動した。

 

それまでは次亜塩素酸水という、塩素系ではあるけれど電解されて作られる消毒薬で漂白剤とまた、違うと言われている物を使っていたのだけれど、すごい使用量が増えた。

 

家も勿論、買って来た物、全てそれで消毒、手紙やチラシなどは消毒した後に放置、アルコールが無いので、神経質なまでにそれで消毒して歩く。

 

買い物に行けば、全ての服を洗濯し、シャワーを浴びて、買い物を消毒した後に、袋を入れ替え、更に野菜などは専用洗剤で洗い、72時間後に食べる徹底ぶり(笑)

 

キャベツなど、芯をくり抜いてそこに水分を含んだ紙などを詰めてビニールをかぶせておくと、一月はもつ。

 

ピーマン、キャベツ、たまねぎ、長ネギ、ニラなど、冷凍もできるので、歯応えは無理としても、風味と栄養は摂れるから、冷凍をする。

 

日付をちゃんとつけて保存し、兄の方から使っていく。

 

火にかけて食べる場合を除いて、生食は気を遣い、時間を置いても良いものだけを洗って消毒した後に、72時間後に食べる。

つまり刺身は食べていない。

 

 

消毒や洗濯、着替えなど、SNSでうるさく云ってみたけど、結構、動く人は自分がそれで正しいと思っているので、他人と車に乗って出かけたり、外食したりしている。

 

田舎の人だし、それでもいいかなぁと思う反面、こういう行動がクラスターを起こし、誰かが亡くなってるんだと思ったりもする。

 

マスクしないという人もいる。

 

人にうつさないためにする、ということを拡大解釈している。つまり人に出逢う訳でなければマスクしなくていいと勝手に思っている。

 

人からのウイルスを少し受けにくくする。

そして受けたウイルスを少しでも与えにくくする。

 

その効果がある、と、いうだけなのに、それさえもしたくない。しなくてもいいと思っている。

5000人にうつるところが、4000人になる程度の話かもしれないが、この1000人は大きいと思わないか?

 

 

と、私は思うのだけど、本人は正しい、騒がないことがカッコいいと、どこか思っているから仕方ない。

 

理知的に動きたいと思っているから、みんな余計にどこか気取ってしまう。それがこの拡散なのだと思う。

 

テレビなどで、そこまで気を使わなくても大丈夫、などと云っているが、そういう事を言っている専門家が集まる病院で、あんなに院内感染が広がるのは、やはりどこかでそこまでやらなくでも大丈夫、があるからだと思う。

 

消毒薬の枯渇、値上がりなどもあるのかも知れないが、アルコールは70%〜80%で、びしょびしょに濡れるくらい使い、乾いたら拭き取る、が基本で、一時期、規制緩和された時に、ほんの少しのアルコールであちこち拭いているのをテレビで観て、ダメだこりゃ、と思ったけど、その通りだった。

 

塩素系0.1%で、1分放置。

その後、洗浄、乾燥も効果があるらしい。

 

 

一番最初に死者を出さなくてはならなかった病院は、手探りで、知らない事だらけな故に、塩素も使って消毒して、院内感染を食い止めた。

この病院の得意分野は外科で、呼吸器などの専門医はいない。その中での謙虚で、アグレッシヴな行動は、私は心から称賛するし、自分もそう対策していくべきだと思っている。

 

 

これは、自分が罹患したくないというのもあるが、とにかく、市中に無自覚に撒き散らしてしまわない為に、という気持ちだけだ。

 

発症もしない、陰性のまま、ウイルスだけをバトンのように渡していることもある。

だから徘徊しないで欲しいし、人と間隔を開けて欲しいのだ。

 

この意味がわかるだろうか。

 

 

日本は検査などかなり調整されていて、本来の数がわからないと言われているが、この働き手の居ない、疲弊した病院に入院する方が怖い。

だから調整されて、自宅で軽症の間は治るように自粛していた方が、絶対に治りは早いと思う。

 

病院で数多くのウイルスに、そして人を介して形を変えた複数のウイルスに出会ってしまうより、絶対に良いのは確かなのだ。

 

海外で、あそこまで酷い人ばかりになったのは、そこだと私は思っている。

複数の、遺伝子の違う人を介してウイルスはより強くなる。

 

島国の日本人は遺伝子的にもそんなに大きな差は大陸や、異国人で溢れる国より恵まれているのだと思うし、それが唯一の救いになっていると思う。

 

 

だからこその自覚と、自粛と消毒。

 

消毒などに関する行動は、BBCが報じている方法をお勧めします。

 

 

STAY HOME

 

 

 

 

 

今年に入って、刺身は一切食べていない。

これはかなり賢明で、自分では正しい判断だと思っている。