もともと
ポンコツで、ヘタレで、内気なのに、まぁ、よくここまで人に意見をしたり、強気に出たりできる様になったもんだ。
私は小さい頃はしょっちゅう泣いていた。
母親以外が怖くて、すごくドキドキした。
家の中の物はみんな生きていて、私に話しかけている様な気持ちだった。
初めて親と喧嘩して、部屋のドアをバタンと閉めた時、ドアが痛いと泣いている様な罪悪感で身体中が痛んだ。小学3年生の時だ。
その頃から、なんとなく強い気持ちや強く出る事を学び始めたが、まだまだ、拙い紙飛行機の様なフラフラした物だった。相変わらず給食は食べ終わるまでに5時間目が始まり、昼休みは殆ど遊べなかったけど、段々、噛まないで飲み込むこともこの頃に覚えた(笑)
そんなのんびり、咀嚼は口の中で飲み込めるまでという、ゆっくり楽しみ生きていた私だが、
その翌年には、それから何十年も引きずる事件が起きる。それについては限られた人にだけ公開していることだけど。
ちょうど3年生のドアの閉めた音のせいで、ティンカーベルが魔法をかけたのか、私の中の自我と、身体や心の成長と、忌まわしい事件と周りの環境の変化が、ピタリとハマった様にその瞬間から、私は少しずつ、そして大きく変わっていく。
でも元々の私はポンコツで、例えば親戚が私にプレゼントを持って来てくれても、有難うというのも恥ずかしくて、何時間か一緒に居てくれないと話も出来ず、さて帰ろうかとなると、寂しくて泣くという有り様だった。
他にも親戚が私の親にピアノやサックスを習いに来たりしていたのだけれど、それでも帰るとなると悲しくて泣く。
でもこんにちはは恥ずかしくて言えない。
どんだけ内気かよって言うくらい内気の塊だった。
一日中、本を読んでいられた。
厚さ3センチ位の児童書なら、1日で1〜2冊読めたし、そんなに買ってもらえないと、何回も読み直していた。
広告の裏や、今やテレビ関係者がよく使うあの黄色と黒のスケッチブックに、いつも絵を描いていた。
黙っている事が全く苦にならなかった。
小学生になる前に本だけ読んで、3時間以上集中出来るって、今の私でさえ感心する。
その位、本は楽しかった。
そんなポンコツが、3年生から少しずつ変わったとは言え、まだ、20歳を過ぎてまもなく、社会でどうにか母子家庭としてやっていこうと言うんだから、まぁ、本当にこの世の中にどれだけ助けられたかわからない。
でも私なりに、歯を食いしばったり、本来持ち合わせない闘争心を燃やしたり、勝気になったり、して来た。
私の嫌いな私を何年生きたかわからない。
息子が亡くなった。。。
もう本当にそんなことしなくてよくなったんだ。その事自体が悲しくて、そしてこの働かないでいる数ヶ月はとても悲しいけど、体は健やかだ。
でも本当は、それでも
Wish you were here
あなたがここにいて欲しい。
きっとそこに居るよね。
いつもありがとう。