ハンガープロジェクト
ご存知の方はいるだろうか。
2000年までに、飢餓という言葉を会話に載せることによって、世界の飢餓をなくすというプロジェクトだ。
今は違う形の飢餓救済プロジェクトになっているという。
飢餓がこの世の中に現存するということが、言葉にしていくことで飢餓があると意識の上で気付くことになり、やがてそれを飢餓がなくなることになるという、壮大で人間の良心を信じているプロジェクトで、人は言葉によって生きていて、言葉に支配されていくのだけれど、言葉を使いこなしたら何があるのだろうという試みも含まれている。
私がそこに関わったのはほんのうわっすべりのところだけなのだけど、そこで私自身が私のテーマに見つけたものは、飢餓は自分の中にある、ということだった。
私達はいつも十分な食事を得て、身体は太り過ぎるほどいつも美味しい物を口にして、ダイエットが辛い、我慢出来ない、、、、
沢山、有り余るほど持っている物を、目の前の人に与えられない。
電車の座席に座って、それを人に与えられない。手すりに近い場所を、立つのが辛そうな人に与えられない。
子供の頃に、あんなに母親に、1枚のお煎餅しかなかったら、人数分に割って分けて食べなさい、と、教わっていたのに、この世の中で、生き抜くことを学んでいるうちに、私は与えることができない人になってしまっていた。
それに気づかされたのがこのプロジェクトだった。社会の飢餓にモチベーションを持って動き回る人達を横目に、私はその自分の飢餓というものに驚き、これはどう向き合っていくべき課題なのか、というテーマになった。
とりあえず、これを問いかけると、ダイエットがとてもスムーズになるのは驚きだった。
本当にお腹は空いているのか?
それは必要な栄養なのか?
そう問いかけるだけで、するすると痩せていった。
最近は年齢もあり、自分に問いかけもそこまで厳しくはないけれど、それでもやはり食べ物の切り替えなど、体に合わせて自由に切り替えられるようになった。
私の母は糖尿になって、それも酷い状態で、インシュリンを打ちながら、そして食べることがやめられなくて、クッキーやチョコレートを口にして、もうそれは麻薬中毒のようだった。
最後にはサイダーしか飲むことが出来なくなってしまう。
私はその時に子供が小さかったので、子育てのために家を離れていた。
父が面倒を見ると言っていたが、母が黴びたサンドイッチまで食べようとしていたのを見て、どうしようかと思ったらしい。
這いずるように痩せ細り、いつ命の炎が消えてもおかしくないというほど痛んだ体で、サイダーとパンを飲み込んで生きた。
最後に心不全が起き、病院で亡くなる。。。
死にたくない。
母の最後の言葉だ。
私には母が私の中の飢餓の全ての象徴にもなる時がある。
よく考えれば、母はそんなに強い人でもなく、人の物を奪う人でもなく、自分の中で懸命に頑張って、人の悪口を外では決して語らず、そしていつも良い結果を手にしてきた人だ。
そう生きたい、という、矜恃のようなものが、彼女にはかなり強くあって、それがまた私には眩しくて、今でも思い出すと卑屈になる。
私の欲しい光はみんな彼女のものだったような気もする。
飢餓というものは食事の飢えだけでなく、人の渇望するもの、その渇望こそが己の飢餓である、という事に気づいてしまうと、あらゆる所に飢餓がある。
私はこんなに飢えているのか。。。
子供のため、可愛いペットのため、大好きな彼のために、惜しみなくつぎ込むことができるのは、それは本当に愛なのか?
支配と愛、当て付けと皮肉、、、
この心の奥に裏側には、嫌というほど自分の飢えがある。
これと静かに付き合って生きていきたいのだけれど。なかなか難しい。
何かまた、発見があったら書き留めてみようと思う。