有効な時間
ここのところ、本当にポンコツ全開でのんびり引越し作業しては落ち込んだり、思い出に最後の別れをしたりしていて、心は平坦になったり落ち込んだり、悲しみに悶えたりしながら、私なりにはとても平穏な時間を過ごしている。
心に現れることは本当に様々で、そしてどうしても自分に都合がいいのも感じる。
もしかしたらそうしておかないと、辛過ぎて受け止められない事も沢山ある。
さて、有効に時間を使う、というのはどういう事なんだろう。
例えば、タイムラインを明確にアレンジして、こんな引越しの感傷に浸ったりせず、どんどん事を運び、引きずらないでポジティブに進める事なのだろうか。
私は今の時間がとても気に入っている。
私らしいタイムラインだとも思う。
普段は何かと約束や仕事で時間に追われていて、いつも小走りで、電車に乗り遅れて15分遅れる予定も、5分遅れで到着したら自分なりに満足だったりする。
相手を待たせなくてよかった、と、いつもおもう。
仕事に至っては常に35分前には着く様にしていて、早く着き過ぎてコーヒー飲んだりしている事もある。
だから、電車の事故でも遅刻はあり得ない。
いつもいつも、人を待たせない為に先に先にと生きているから、こうやって自分タイムで動けるのはとても幸せでもある。
私はいつも、仕事や約束の時は相手の為に時間があるのだなぁと思う。
だからこうして、私の思いのまま、悲しみも苦しみも味わいつつ、毎日、同じ手作りの餃子を食べて(笑)
完全栄養食だと思う、私の餃子は(笑)
キャベツの千切り食べて、ほとんど野菜はキャベツじゃないか(笑)と、りんごのミルクで生きている。
冷蔵庫の中は殆どもう捨ててこの餃子セットと、冷凍唐揚げが少し。玉子が少し。牛乳が2本。
後2週間で引越しだから、食べきらないといけない。
静かに、静かに、そして私の周りにはダンボールが要塞の様に増えていき、その合間にそっと生きている(笑)
でもなんとなくこの時間が心地よい。
虫の様な生活だよね。土の塊を巣の上に積んでるアリの様でもある。
どういう時間が有効活用なのだろう。
太陽のある間に布団を干したい、洗濯物を天日で乾かしたい。
だから今日は、、、
私ならそういう日には人と会わないで、ゆっくり太陽と付き合う。
仕事で追われて、休みも取れない日々があった。私はそういう時間に、人と会うより、太陽を取ったし、そしてゆっくり自分と対話した。
だから私は振り返ると本当に遊んでいない。
レストランも知らないし、どういう人がどういう遊びをしているかも知らない。
でも、家でなんとなくお一人様レストランしたりして、楽しんでいる。
あ、ここひと月は餃子ライフだけどね(笑)
それでも自分の餃子は野菜がゴロゴロで(フードプロセッサー を荷造りしてしまったから)お肉は軽く(今は鶏胸挽肉と海老)、野菜の甘味が美味しいし、満足している。
引っ越したら暫く餃子は要らないな(笑)
そして手作りは、餡がたっぷりだ。
こんなに幸せで、ゆっくりとした時間は、私の人生で有効だ。
詰め込まないのも有効な時間だ。
そうだ、30年ほど前に、青山のイッセイ ミヤケのブティックを覗いた。
私にとっては初めてのおつかいみたいなドキドキな店。
そこには、サイズ違いのシャツが1枚ずつ、2〜3枚ずつかかっているだけ。
それがまた、とても素敵だった。
百貨店や、カジュアルな服ばかりの駅ビルなんかと違っていた。
空間って贅沢なんだな。
下手をすれば、空間はスカスカの、物資の無い店舗みたいになる。
人間もそうなんだ。
忙しく、ないない、足らない、ないない埋まらないと生きていたら、どんどん売れないスーパーみたいになっていく。
ゆったりと、一つ一つを贅沢に、しっかり存在させれば、数はなくても、優雅なのだ。
ま、今はゴミと段ボールの狭間から、優雅というよりホームレスだけど(笑)
この期に及んでまだそうなのか、とも思いつつ、どうしたらこの罪を悔い改める事が出来るかとも思う。