uchunohazama’s blog

孤独がデフォルト。

息子が亡くなって376日目。加筆しました。

引越しをするので、片付けている。

心身、誠に宜しくなく、素晴らしいストレスだ。悲しみや、後悔や、感謝や、喜び、色んなものが出て来る。

 

息子は亡くなる3年ほど前から統合失調症になっていた。

彼は自分の中で憎んだり、恐れたりしたものが、自分の中にあることを知った。

自分が怖くなり、憎み、私を憎み、それを恐れ、、、、訳わからないでしょう?

訳わからない。だから病気なのだ。

 

生きている事もなかなか辛そうだった。

辛そうだけど、そして頑張って生きて、更に私は、彼がパラサイト的になる事を許さなかった。私がいると言う事を、とにかく彼にはあてにさせない、そうしなくてはならないと頑張っていた。

何故なら私が先に逝くのが普通だからだ。

私が先に居なくなり、働けなくなり、そして、彼は生きていかなければならない。

 

息子は40を過ぎていて、再就職もバイトも一旦辞めてしまうと、病気の為に辞めたとなると再雇用は難しいと思われたから、雇用先を辞めさせず、休む事はあっても、馘にもならない様に気を使い、そして、金銭的に自立させようとしていた。

 

私の心はギシギシ音を立てていた。

私は息子を見ると辛くて、悲しくて、そして抱きしめることが出来なかった。

心は痛みで悲鳴を上げて、いつも叫んでいた。

息子はその叫び声が聞こえるかの様に、私の顔も見なかった。

 

 

私は捕われるようにそして彼を自立させて、病気に自分で立ち向かえる様にといきり立っていた。

私に甘えさせてはいけない。

 

 

私の元にいる事も、やめさせようとしたことさえある。どこか遠くに行かせようと思ったのは、例えば牧場や畑の仕事をして、汗を流して広々とした自然の中で、空と土に抱かれたら、そして私と離れたら、彼は治ると思われたからだ。

 

でも彼は私がいい、私から離れないと言った。

 

更に40を過ぎると、そう言う農家、農場の仕事先もなかなかなかった。実際はあるのだろうけど、見つけられなかった。

 

 

私は途方に暮れていた。

 

私は彼をどうにか自立させなくては、どうにか私から卒業させなくては、とそればかり考えていた。

 

 

 

私は彼を追放したいのではなく、自立させたかったのだ。そして私が、彼のためにやって来た事を、いつもいとも容易く、裏切る様に、彼は裏切っていく。

 

私の家のお金を抜いて、使い込むのだ。

 

 

 

 

私は怒り狂って、情けなくなって、訳が分からなくなった。

悲しくて絶望した。

 

 

何回も盗む。

 

 

 

毎日家の中で現金をしまう場所を変え、入っている金額を確かめ、そうしている自分に、疲れ果てていた。

 

 

 

 

 

 

 

376日前、息子は亡くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事中につまづいて転倒して亡くなった。

 

 

 

私が先でなくて良かった、、、、

 

 

私なら大丈夫。。

 

 

 

 

 

悲しみは、やっと最近、訪れて来た。

喪失感はあったけど、悲しみを感じる余裕さえなく、とにかく、自分が立ち直るために一生懸命だった。

 

 

 

やっと、泣ける。

 

 

 

 

 

息子が子供の頃の写真が山の様に出て来た。

幸せそうに笑っている。

とてもとても仲良くて、あんなに楽しかったのに、私が彼を自立させようとしたのが悪かったのだろうか。

 

 

亡くなる3日ほど前に、つい、頭を撫でてしまった。可愛くて。

 

すごく嬉しそうに笑った。

 

そんなに嬉しいの?

 

 

頷いていた。

 

 

 

 

 

翌日も頭を撫でた。

 

狂気の目で私を睨んだ。

 

 

私は見なかったフリをした。

 

 

 

 

2日後に彼は事故を起こす。自分で転んで頭を打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

息子が亡くなって346日目。

 

 

何かあると泣いている私がいる。

 

息子はいつも言っていた。

僕は絶対に死なない。だってお母さんが泣くから。

 

でも私はあの辛そうな息子が、病気で苦しんで、妄想や幻想に囚われている息子が、生きていることが辛かった。

 

 

 

 

息子が亡くなって376日目。