uchunohazama’s blog

孤独がデフォルト。

Mother Jhon Lennon について

Mother, you had me but I never had you
I wanted you you didn't want me
So I got I just got to tell you
Goodbye, goodbye

Father, you left me but I never left you
I needed you you didn't need me
So I I just got to tell you
Goodbye, goodbye

Children, don't do what I have done
I couldn't walk and I tried to run
So I I just got to tell you
Goodbye, goodbye

Mama don't go
Daddy come home
Mama don't go
Daddy come home
Mama don't go
Daddy come home
Mama don't go
Daddy come home
Mama don't go
Daddy come home
Mama don't go
Daddy come home

 

 

和訳は簡単なので自分でして欲しいなぁと思う。ざっくり、お母さんは自分を求めなかったし、お父さんに自分は必要なかった、僕は出来もしないことを子供にしようとして、結局出来なかった、、、、

 

というように解釈してもいいのかなぁ。

 

 

これはそれぞれの人生や体験で、考え方や見え方が違うと思いますし、それだけ親子の在り方が存在するのだと思います。

 

子供は生まれた時は何も出来ませんから、社会的に一人前と認められるまでは、親の影響下で育つしかありません。

生まれた所が裕福だったり安定した生活の保障があったり、そして、親族も概ね幸せな家族、、、、、であれば申し分ありませんが、親もまた、生まれた時は非力で親の影響下で育つわけで、そこにはそれぞれのトラウマや、それぞれのコンプレックスがあるわけです。

 

生まれた子供にとって、親は太陽であり、世の中の正解のすべてでもあり、正義であり、絶対ですが、徐々にそうでないことを知ります。

 

なぜなら親にも人生があり、過去があり、未来があるのですから。

 

これを頭で早く理解できたら、子供は一人で立ち上がれるのです。

この曲でジョンはそれに気付き始めているのかも知れません。

ヨーコに頼りながらですが、この弱さや儚さは、思春期の私には大変魅力でした。

 

そしてこの曲はかなり長い間、私の頭の中をバイブルのように流れていきました。

 

肝心な時に、親は助けてくれない。

 

それでいいのだと知るまで、この曲は私の中を駆け巡りました。

 

肝心な時、それは自分の人生と、親の人生が別々なのだと知る時であり、そして、それが獣達でいう、自立の時なのだと知るからです。

 

悲しみや苦しみはいつだってどんな人生にだってあるものです。他人と比べられません。

比べて不幸自慢しても、何にも始まらないのです。

そこが自分のスタート地点、と思って、立ち上がり、進むしかないのです。

 

それでも弱気になって、この歌を歌って、そしてああ、自分は何をやっているんだろう、、、

私はそんな風に思ってきたのでした。

 

この曲はバイブルでしたが、いつのまにか、心に響かなくなりました。

完全に親から自立したのだと思います。

 

いや、両親とも亡くなってしまったから?

 

理由はわからないですが、私の中でこの曲が流れることがなくなりました。。。

 

 

親と子の関係は他人が口を出さないものであり、それぞれの運命もあり、そして何より立ち上がる勇気と、力です。

子供はそれを振り絞るから大人になれるのだと思います。

 

 

 

 

 

 

そして大人になれない大人はどうしたらいいのか、ということも考えてしまいます。。

 

 

最近は大人になれない大人がとても増えました。それが良い事だと言われて居た気もします。

 

若々しい、ずっと青春。

 

 

そうなのかなぁ。

 

 

 

若々しいのと、大人は別だよね。

で、私はとても子供っぽい。

 

 

もっと大人にならなくては。。。

 

 

 

でも、いつのまにか、このMotherを聴いて、感慨深くなる事は無くなっていた。

良い曲だと思うけど、聴いて涙が出るという事は無くなった。

 

気がつけば、その頃には、親が何であろうと、親には親の人生があり、その中で自分は産まれて、生を受け、社会に出るまで食べさせて貰っていたという事に気付いていて、勿論、愛情や、お互いの命や生き方に対する想いは交差している中で、何があっても私の人生も、既にもう、一つの人生で、親も環境も、何も関係なく、その中で自分が感じたり、判断したり、思い違いをして、ここに至っただけなのだ、、、

と考え方が変わっていた。

 

親へのメッセージは、感謝だけでいい。

 

シノゴノ言っている間はきっとまだ子供なのだ。

 

そうか、気付いたら両親共に亡くなって居て、だからなのかも知れない。

甘えているから、憎らしいのだ。後悔もあるけど、そして憎い、悲しい、と、甘えている。

 

 

人に比べて私はこんなに酷かった、酷い毒親だ、と、叫んでみたらいい。

叫ばないのは叫んだら、自分の中にある甘えがなくなることに気付いているからだ。

 

第一、親子は唯一の関係だから、他人と比べる事自体、間違っている。

だって私の親はアル中で

俺の親は借金地獄で

私の親は男狂いで

俺の親は折檻が酷くて

 

 

みんな言いたい事はあるだろう。

 

でもどんな親も、その人生を精一杯、生きていた。

 

そして私達は、その人たちの子供であったけれど、そして全く別の人生を与えられているのだ。

 

そしてその親のもとで、私は17歳まで、大抵は20歳くらいまで、生きて、そして社会に出られるまで育った。育てて貰った。のだ。

 

それだけ。

 

人生の序章に、親の影響、人生のテーマ、最初の他人から与えられる依存、求める依存。それらが詰まっているだけだ。

 

そしてストーリーは展開して、第一章で転換するか、中盤で転換するか、終盤でやっと本来の自分のテーマに転換するかは、自分次第なのだ。

 

 

 

私の人生は私のものだ。

 

 

Motherは、バイブルではなくなっていた。