わからないと認める事。
私はあなたの事はわからない。
わからないけれど、感じてあげたいとは思う。これだけで、十分だ。
誰もわかってくれない。
それは当然だ。自分の人生は自分で生きているのだから、人が分かろうもんでもない。
ただ、それなりに、あーあの坂、私も登ったけど、こうたった、あの階段はキツいよね、と、自分の思いから想像して感じてあげることぐらいしか出来ない。
だから、どんなに足掻いても、人の気持ちなんて、自分だって時に自分がわからないのだから、人に分かってもらうなんて無理だ。
そうだ、自分に自分が嘘をついている事もとても多い。
私はこうやって色々文字にして、書いているうちに、はっ!と思うくらい、何かに囚われて本当の自分の気持ちさえ分からなくなってるから、、、
だから日記を書きなさいとか、自分のことを書きなさいって言う大人は、とても良いことを言っているのだ。
本当、あ、、そうだったって、気がつくからね。
そして、忙しいと日記も書けない。
日記も書けないから盲滅法になる。
見失う。
自他共にわからない。。。
わからなくなっている人を、他人が分かるはずがない。
ましてや自分がわかる自分でももはやない。
こうやってブログ書いたり、SNSで吐き出して、それでも多少の共感を得る事が出来たら、有り難いと思うしかない。
私はアナタを解ることができません。
これに対してもっと謙虚にならないといけないなぁ。と自分に思う。
いやぁ、私のことだから、いい加減なやつだから、忘れてしまうかもしれないけど。。。
でもそして、私はアナタのことを解ることが出来ません。感じてあげられるけど、それは私のエゴ満載です。
私はアナタを愛していますが、私の愛は私のエゴです。
私は時に人を責めますが、いや、かなり責めて生きていると思いますが、それは自分が原因で、責め切れなくなって一杯になると他人を責めているのです。
だから自分も責めない、そこからです。
かなり私は自分責めているなぁ。
いい加減なやつなのに。
解放しよう。
全てから自分を解放しよう。
解放しようなんて言ってると、開放することに囚われてしまう弱さもあってね。
そして私はアナタがわからないです。