アルマイトの弁当箱
最後の物置をひっくり返していたら、ご丁寧にもアルマイトの弁当箱が二つ出てきた。
一つはもうボコボコになっていて、傷もついている。こんなのでご飯食べたらアルツハイマーになるよ、アルミは脳によく無いんだよ、、と、私は思うけど、でも当時にしてみればかなりハイスペックな弁当箱な訳で、私が小学生の頃はさらにこれにキャラクターのついたものが流行っていた。
私は何を使っていたんだろう。
なんとなく、このアルマイトの弁当箱を使った思い出がなきにしもあらず、、、海苔弁が入っていた思い出が、あるような、無いような。。
プラスチックの弁当箱を使っていた時代の方が長いので、あまり覚えていない。母がアルマイトは良くないと、早々に使うのをやめたからだ。
このボコボコの弁当箱に、父母のどちらがこれを何年使ったのかわからないが、どんな思いをここに詰めて、どこにいったのだろう。
どうして父は母亡き後、この弁当箱を捨てられなかったのだろう。
戦後13年で私は生まれたので、戦中戦後の両親の持ち物も沢山あり、今にして思えばもう、70年、なんでそんなに大切なのかと問われても答えられないものも沢山あり、私も普通に考えて残り2〜30年以内にお迎えが来るので、そうしたら流石に100年残すものかどうか、という問いもあり、捨てていくことになるのだけれど、でもやはり、私の心の中では、この戦争と両親の家庭内での様々な葛藤や、戸惑い、そして終戦後の混乱と、生まれ育ちの矜恃、親に対する想い、色々なものが、時代背景が今とは違うので、やはりそれなりの重みがあり、そして私には捨てられない物になってしまう。
100円均一が出来てから世の中の物がとても安易で、安い物で、すぐにダメになる物に占領されてしまった。
やはり戦前、戦後のものは今とは違う。
何から何まで職人が生きていて、地味だけど、美しい。でもずいぶん捨てた。
悲しいね。
人が確かに生きた証。
それがしっかりと残るものを捨てるのは哀しい。
そうか、現代は誰が生きている、という存在感が少ないね。
物にはあまりそういう存在感がなくて、あるととてつもなく高い。
アートなんだよね。
だからようつべとか、ニコ動とかに存在している証が残るのかな。
なるほど。ここもそうだね。
私はブログの旅が好きで、あちこち、ランキング関係なく、題名やキーワードで出会えるとうれしいなとおもう。
もっとそれが自由になればいいのにね。
さて、アルマイトの弁当箱は捨てなくちゃね。