いつ死んでもいいんだ。。。
去年の元旦まで、どんなに辛い事があっても、私は自分に言っていた。
必ず1度は死ぬのだから、今でなくていい。
辛いを沢山溜めて、感じなくなるほど溜めて、それでも最後に死んで楽になるのだから、今じゃない。
そう思うと、あー、いつかは死ねるんだなぁとほっとして、少し頑張ろう、と思う事ができた。
何回も何回も空を見上げては、今じゃない。
去年の元旦に息子が亡くなった。
彼は精神的に病気になって、その病気の中に逃げ込んだ。
後からわかった事だけど、彼は逃げ込みつつも、もしかしたら自分はそんなに重い病気ではなく、これは治るんだ、逃げ込んでいるのかな?と考えが頭をよぎったらしい事が、書いてあった。
でもそのままの気持ちを元上司に、汚い言葉を書き綴ったメールやら、恨みやら、怨みやら、思い切り詰め込んで吐いていたりして、本人の辛さがどこにあるのかもわかった。
私とは会話をしたり喧嘩をしたり、、ほとんど後半は喧嘩の毎日だった。
私もこんなに辛い、、、
精神を病んだ家族は、本人に代わってやらない分、そして、正気と強気で、負けないで、正気を譲らない何かを持ち続けてあげなくてはと言う思いと、本当に自分に起きている事ではない苦しさで、心はズンと重くなって、毎日がとても痛みのある毎日だった。
顔を見る。息子の顔を見ると、今日は少しいい目をしている、今日は狂気が入っている、その繰り返しで、眠れない眠れないと、睡眠薬を飲みすぎて、おかしくなって行く。
そっと部屋を覗く。寝ているのだ。
本人は爆睡していびきをかいているが、後から僕は起きていた、あの時間のことを知っていると言う。
頭のどこかが寝ていない。
そんな状態らしい。
身体も寝ているのに、何か寝られない。
私も辛くて死にたかった。
毎日、生きているのが辛くて、でも私が死んだら彼はどうなるんだろうと、もうギリギリに辛かった。
でも今じゃない。
いつかは死ねるんだから今、死ななくていい。
そう生き続けることを自分に言い聞かせて生きていた。
そして息子はあっけなく亡くなった。
仕事中に、車止めにつまづいて頭を強打して亡くなってしまった。
あれから1年が経つ。
引越しを決めた私はそのストレスと、哀しさと、思い出の数々を改めて両親の分まで纏めて整理するせいで、おかしくなってきている。
息子の思い出と、親との時間を整理して捨てていく。
ここで別れていくのだ。
自分の最後の時間のために。
何より本当に悲しいのは、息子が亡くなってこんなに悲しいのに、あの精神状態で生きている息子を見ないで済むのが楽である、、と言う事も残酷に辛い。
こんなに孤独で、誰も居なくなって、天涯孤独で、親戚も何もかもない私は、それでもあの苦しむ息子を見ている時より楽なのだ。
それが何より辛い。
本当に辛くて哀しい。
私は生きている。
そして思う。
いつ死んでもいいんだな。
それこそ、この家の決済と、新しい住まいの決済をきちんと終えたら、私は本当にいつ死んでもいいんだ。
今じゃないと言う理由がなくなってしまった。
いつ死んでもいいんだな。